早くもない日々津々浦々

私個人のうつ病と闘いの話を書いていきたいと思っております

寝ているときの話

うつ病で寝ているときの話をしたいと思います。

寝ているときは鬱から解き放たれる…というわけでもありません。

 

そもそも布団に入ればすぐに眠れるというわけでもありませんでした。

布団の中へと入り、よく見知った天井を眺めているうちに、悩みがひそやかにおあふれ出て、布団の回りを埋め尽くし、ひそひそとささやいて私の眠りを邪魔する。

そんなこんなで、眠れるころには空が白んでいるときもままありました。

 

眠っていれば夢を見る、その夢もまた悪夢であり、心休まれるときはそうそうありませんでした。

悪夢の内容そのものは目が覚めれば瞬くうちにかき消えるような、そのようなものですが、後に残るは嫌な夢を見たという酷い残り香。

その残り香もまた、起きている間自分に付きまとい、うんうんと言わせ、また眠りの考えのない場所へと引き込もうとしてくるのでした。

先日いただいたお薬は、そういった眠りを少し、変えてくれました。

今まではひどく浅い眠りだったものから、眠れば眠くなくなるまで眠り続ける深い深い眠りへ、変わっていきました。

 

 

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病院に通院した話

それから病院には二週間に一回、行くことになりました。

いつもの買い出しとは別に出るということで、軽い引きこもり状態からはかろうじておさらば。

病院へと行く道はそのころ住んでいたところから大体3kmほど離れていたので往復で6km。

引きこもり状態だったうえ買い出しの時にはバスなどを使っていたため体力もかなり削れていた私には、いい運動になりました。

二週間に一回、出るということで今まで引きこもっていた分季節の移り変わりが体に染み込み、今まで灰色だった世界が少しずつ色づいて見えました。

それは、灰色の世界で水の底に詰められていたような感覚だった私にはとてもきれいな体験でした。

雪の積もっていた季節から、少しずつ溶けていき。

春先の桜が風に乗って桜色の風を吹かせ。

あれよという間に草が生い茂っていく光景は

なんだかとてもとても久しぶりに見たような、そんな気がいたしました。

 

 

 

 

いくらかお薬をいただいた話

さて、予約した当日。

私は少しドキドキしながら…そう、久しぶりに感情が高まっていました。

それも当然でしょうか、知らない人とお話をして、知らない病院へ行く。

そんな当然のことすら拒絶してきたのですから、それをいざ勇気を出して行おうとすればトドキドキもすると言うものでしょう。

私はいざ病院へと足を踏み入れました。

受付を行い、簡単な問診を受け、いざ面談。

…その面談の内容までは覚えていませんが、ただただ苦しいということを伝えたことだけはよく覚えています。

苦しい、この苦しさを終わりにしたい、と。

その面談も五分やそこらで終わりました。いえ、実際はもっと長いものだったのかもしれませんが、私の記憶があまりにも微かだったことから、きっと忘れてしまったのかもしれません。

その日はいくらかのお薬をいただき、次の問診の予約をして終わりました。

その日の晩は、ほんの少しだけ、よく眠れました。

 

うつ病から脱却しようとあがいた話

うつ病から脱却しようとあがいた話をしたいと思います。

私自身がうつ病となったと思っている季節は夏ごろ、そのころにゼミでの研修旅行がありました。

それから祭りに行った話の季節が秋口、それからしばらく寝込んで何もできなかった頃が冬、そして脱却しようとあがいた頃が春でした。

 

なぜ季節で表すのか?といいますと、そのころの時間間隔が恐ろしいまでに短く感じると同時に、一日がすさまじいまでに長く感じたからです。

時間の感覚としては、一日一日が始まったと思っていたら、もう終わっていたようにも感じられ。

一日の感覚は当時不眠症にも陥っていたことから、夜の長さと昼の長さの二つが合わさりとてもとても長く感じられたのです。

その長さたるや今思い返せばそう常日頃と変わらないものでしたが、

罪の意識と罰の身体の二つを合わさり持ち合わせていたそのころの感覚で測れば、

とてもとても重く、長く、苦しいものでした。

 

さて、そんな苦しい冬のころでしたが春となってようやく気温が二桁台になると少しだけ外に出てみようかな、という気持ちにもなれました。

そしてようやく、この気持ちをどうにかして変えよう、どうにかして整理をつけたいと思えるようになり、私は精神科の病院の門戸を叩きました。

 

とはいえ、そのころは電話やメールといったものに対する恐怖感があり、自分からメールを受けることも、電話をすることも苦痛でした。

それゆえに、精神病院へと予約受付を行おうとしても、電話対応が出来なかったために、自らその病院へと足を運ぶことになりました。

買い出しで外へは出るとはいえ、引きこもり状態になった脚ではその病院へはとてもとても遠く、着いたころにはへとへと。

ようやっと着いた頃には病院はしまっていましたが、病院内に入ると看護師さんが受付をしてくれました。

それから次の予約を決め、その日に先生とお話をすることになりました。

 

 

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冬の鬱

というわけで冬の話。

鬱もすっかり自分に染み込んでしまい、布団の中から出ることもままならなくなり、夜の長さも相まって、一日中布団の中にいることはもはやそのころの私には当然のような状態になっておりました。

雪も積もり、自身の頭もろくに回らなくなり、そのころはまるでセメントの中に沈められたような、雪のただなかにコートを着せられずに外に出されたような、そんな寂しさを抱きながら一日中悶々としており、そのころはただ一つのことだけを考えておりました。

 

どうやったら楽に死ねるんだろうなー、と

 

もちろん今これを書いている時点では死んではいませんし今のところ死ぬ予定もございません。ですがそのおころの私には、どうやって死のう、どうやって消えよう、そんなことばかりが頭の中をぐるぐると回り続けておりました。

死ぬことが間違っている…とは今でも断言することができないのは今でも鬱と戦っているからなのか、それとも鬱が自分にささやいているのかはわかりません。

ですが、鬱になるということはそればかりを考えさせることでもありました。

 

もともと、小さいころから死にたいという感情を心の隅かどこかにおいて生きておりました私には、死に方を発想させることなどいくらでもポンポンと湧いて出ることではありました。

ですが、そのどれもこれも私の死に方にそぐわないものでもあることは確かでした。

というのもそのころの私の希望的死に方はいわゆる「クラシックな日本人の思い描く死に方ナンバーワン」とでもいうべき「畳の上で苦しまずに死にたい…」というモノでした。

しかし私の鬱に罹った貧弱な脳味噌でポンポンと出てくる死に方はどれもこれもそれらにそぐわないばかりか、人様に迷惑をかけるものばかり。

 

まったく、人間ろくなことを考えているとそれを勝手にセーブするものですね。

勝手にそれら打ち出したものを勝手に判別し、バツ印ばかりをつけていくのでした。

今になって思えばそれは、私にとってのどんな恥や苦しみを背負ってでも、

この先の世界を見てみたい、もっといろんなことを知ってみたいという願望が、所謂

生きたいという願望だったのでしょう。

ですがそれらの行きたいという願望と死にたいという願望がぶつかり合い、そして何事もなせぬまま冬の夜長は過ぎていき、生き物の芽が栄える春へと進むまで、悶々と私自身を攻め立てたのでした。

 

 

 

皆さまはそのようなことにならないよう予防だけでもしておいてください

 

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鬱の時にお祭りに行ってみた話

をしたいと思います。

 

お祭りといってもいわゆる学祭ですね

私はそのころゼミには所属してはいたもののそういったものには関与していなかったため、いわゆる普通の客として祭りに参加しておりました

 

祭り自体はとても楽しいものでした

学生たちが作るよくわからん食べ物に日々の成果の展示物、一般からの出展の美味しい食べ物や出店などなどが軒を連ねておりました。

 

その中にいることは楽しいものではありましたが、やはりその中に違和感を感じ、自問自答をしましたが、悶々としたまま答えなどでてきませんでした。

 

ふと、その人ごみの中を見ていると同じゼミ生の子がおるではありませんか。

その時血の気が引きました。

何も悪いことはしていない…しいて言うとそのころは不登校状態でゼミなどにも顔を出せずにいたのでそれが悪いこと、いえ違います、私から見たら悪いこと、ですね

そういったことが自分自身に降りかかりました。

絵にかいたような自業自得。

 

そのまま逃げるように家へと帰り、布団の中で泣きはらしました

結局、自分の身に降りかかっていることは、自分の身から出た錆。

自分からあふれた罪が、罰になって今の苦しみを作っているのだ、と

そのころはそう思いながら、布団の中でただただ泣きはらしておりました。

 

 

 

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鬱になってからの日々

について話していきたいと思います。

ただ今の時刻は日付を回ったばかりです

それでも書いておきたい理由があります

理由としてはその日々を忘れないためです。

私からその日々は一日一日とかき消えて行っております

それを忘れてはいけないと私は思っているからです。

 

さて、鬱になった…と私が感じているのは三年生のその研修旅行が終わった後でした

私はそれからあまりにも臆病になりました。

人前に出ていくのが怖くなりました

人前に出て、今までのようなことを言われることが恐ろしくなりました

人前に出て、自分自身を見せることが怖くなりました

人前に出て、人と接することが怖くなりました

何故か?自分自身がどれほど浅く、枯れて、欲する貧しい人間なのかを知られたくなかったからです。

今思えばその恐怖なんて人はどうでもいいと笑ってくれたでしょうね。

それからの毎日は布団の中で目が覚めてそのまま布団を出ずに布団の中で目を閉じる

いわゆる引きこもりになりました。

 

引きこもりになってからはもうすべてが滑っていきました

授業には出れなくなり、ゼミにはでれなくなり、試験にも出れず、単位は落ち

月日だけが、過ぎていきました。

ただ積み重ねられたのは部屋のゴミと私の体重だけでした

 

そのころは一人暮らしを始めていたので完全には引きこもりの状態ではありませんでした

生きてもいれば腹も減るということは、私には悲しいことだったかもしれません

たまの買い出しも人前に出ることが怖くなっていた私には近くのスーパーまでいって手あたり次第に買い物をしていました

もう栄養バランスなんてそっちのけ、ただ簡単に食べられるかどうかだけがそのころの買い物の判断基準でした

お菓子などを買っていき、腹が減ったら食べ、腹が満たされたら寝る

そんな獣にも劣るような生活をしておりました

 

でも本は読んどけばよかった…

 

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